「Vibe Coding(バイブ・コーディング)」という言葉を耳にしたことはありますか? もし「聞いたことがない」という方でも、無意識にその片鱗に触れているかもしれません。
これは、一行ずつコードを書く従来の開発とは異なり、AIと会話しながら「こんな感じのアプリが欲しい」と伝えるだけで、AIが自動でアプリを生成・修正していくという、まったく新しい開発スタイルを指す言葉です。
2025年に入ってからAI研究者の間で提唱され、瞬く間に世界的なバズワードとなったこの概念。その流れを決定づけたのが、Googleです。2025年10月、Googleは自社のAI開発プラットフォーム「Google AI Studio」に、このVibe Coding機能を正式に導入すると発表しました。
これは単なる新機能の追加ではありません。私たちの「アイデアを形にする方法」が、根本から変わるかもしれない大きな転換点です。今回は、この「Vibe Coding」とは一体何なのか、そしてGoogleの狙いはどこにあるのかを、分かりやすく解説していきます。
「Vibe Coding」って結局なに?
もともとこの言葉を提唱したAI研究者、Andrej Karpathy氏のビジョンは、「感覚に身を任せ、コードの存在すら忘れる」という、かなり挑戦的なものでした。週末に趣味で作るような、使い捨ての高速なアイデア出し(プロトタイピング)に適したスタイルとされていたのです。
しかし、本音を言えば「感覚」だけで作られたシステムを、実際のビジネスで使うのは少し怖いですよね。「差分を読まない」「コードが自分の理解を超える」といった側面は、本番環境で使うにはリスクが高すぎます。
そこでGoogleは、この「Vibe Coding」というキャッチーな言葉を使いつつも、中身を「ビジネスで使える安全なもの」へと再定義しました。
Google AI Studio版のVibe Codingは、AIに丸投げするのではなく、
- 人間が「こんなアプリ作って」と指示(プロンプト入力)
- AIがアプリを生成し、プレビューを表示
- 人間がプレビューを見ながら「ここをこう直して」と対話的に改良
- AIが修正
という、人間が主導権を握る「管理された開発プロセス」になっています。AIに盲目的に従うのではなく、AIという超優秀なアシスタントと対話しながら、安全に開発を進めるアプローチです。
Google AI Studioの「ここがスゴい」3つのポイント
では、新しくなったGoogle AI Studioは、具体的に何がすごいのでしょうか? 注目すべきは、アイデアを即座に形にするための強力な機能です。
1. まるで魔法:「日本語で指示」でアプリが完成
Vibe Codingの中核機能が「Prompt-to-App(プロンプトからのアプリ生成)」です。
例えば、「業界名を入力すると、スタートアップ企業の名前を10個考えてくれるアプリ」といった具体的な要望を普通の日本語で入力するだけ。すると、AI Studioが瞬時に必要なコードをすべて生成し、画面の右側にはすぐに操作できる「動くアプリ(ライブプレビュー)」が表示されます。
従来なら数日かかっていたような簡単なアプリの試作が、わずか数分で完了してしまうスピード感です。
2. 見たまま修正:「ここを青くして」でデザインが変わる
「アノテーションモード」は、まさに「感覚的」な修正を実現する機能です。
生成されたアプリのプレビュー画面を見ながら、例えばボタンを直接クリック(ハイライト)して、「このボタンを青くして」とか「このカードを左からスライドさせて」といった自然言語の指示を与えるだけ。
AIがその指示を即座に解釈し、コードを自動で修正、プレビューに反映させます。開発者はコード編集画面とにらめっこする必要がなく、思考を中断させずにデザインや機能を調整できるのです。
3. 面倒な連携はAI任せ:「魔法の鏡」もすぐ作れる
AI Studioの真価は、Googleが持つ多様なAIモデルを自動で連携させてくれる点にあります。
例えば、「自分の写真を撮って、幻想的な絵に変換し、その結果を音声で読み上げる『魔法の鏡アプリ』」と指示したとします。
するとAI Studioは、カメラ入力、画像生成の「Imagenモデル」、音声合成の「TTS API」といった必要な部品を、ユーザーが意識することなく自動的に「配線」してくれるのです。
難しいAPIの仕様を学ばなくても、アイデアを言葉にするだけで、画像や音声、動画を組み合わせたリッチなアプリが作れてしまいます。
(おまけ)ボタン一つで世界に公開
さらに驚くべきは、AI Studioが単なる開発ツールではない点です。作ったアプリは「Deploy to Cloud Run」ボタンをワンクリックするだけで、Google Cloudのサーバーに即座にデプロイ(公開)され、誰でもアクセスできるURLが発行されます。
これは、GoogleのAIエコシステムへの強力な「入口」として機能しています。無料で手軽に開発を始めさせ、Googleの高性能AI(Gemini, Imagen)のパワーを体験させ、最終的にはGoogleのクラウドサービス(有料)へと自然に誘導する。Vibe Codingの圧倒的な使いやすさは、ユーザーをGoogleのサービスに深く結びつけるための、非常に巧妙な戦略でもあるのです。
ライバルは? GitHub CopilotやReplitとの違い
もちろん、AIが開発を支援するツールはGoogleだけではありません。市場には「GitHub Copilot」や「Replit」といった強力なライバルが存在します。
しかし、これらは似ているようで、狙っている場所が異なります。
- Google AI Studio (Vibe Coding)
「ゼロから1」を生み出すためのツール。非技術者やデザイナーも含め、アイデアを最速で形にする「超高速プロトタイピング」に特化しています。 - GitHub Copilot Workspace
「1を100にする」ためのツール。プロの開発者が、既存の複雑なプロジェクトを効率的に進めるための「副操縦士(Copilot)」としての役割に特化しています。 - Replit Agent
「みんなで学ぶ・作る」ためのツール。ブラウザ上で共同編集ができ、教育やチームでの素早い開発(ハッカソンなど)に強みがあります。
もはや「どれか一つ」ではなく、開発のフェーズや目的に合わせて、これらのAIツールを「使い分ける」時代に突入したと言えるでしょう。
本当に「夢の技術」? 浮き彫りになる課題
ここまで聞くと「Vibe Coding最強!」と思えますが、もちろん良いことばかりではありません。専門家からは強い懸念の声も上がっています。
著名な開発者であるSimon Willison氏は、「Vibe Coding(AIが生成したコードをレビューせず受け入れること)で本番稼働するシステムを構築するのは明らかに危険だ」と警告しています。
「スロップ(質の低いコード)」の量産
AIは確かに高速でコードを生成しますが、その品質は保証されていません。実際にツールを試した開発者からは、「AIがバグだらけのコードを生成し続けた」といった報告も相次いでいます。
最も深刻な懸念は、AIが量産する品質の低いコード、通称「スロップ(Slop)」がもたらす「技術的負債」の増大です。AIが生成した複雑で誰も理解できないコードのメンテナンスやデバッグは、まさに悪夢です。
また、セキュリティリスクも大きな問題です。AIが学習データに含まれる脆弱なコードをうっかり再現してしまう可能性も指摘されています。
我々は「AIのベビーシッター」になるのか?
こうした状況から、多くのベテラン開発者は「自分たちの仕事が、AIの出力を監視する『AIのベビーシッター』になってしまうのではないか」という不安を抱いています。
Vibe Codingは決して「銀の弾丸」ではなく、AIが生成したコードの品質と安全性に最終的な責任を持つのは、依然として「人間」なのです。
結論:我々は「コーダー」から「指揮者」になる
Vibe CodingとGoogle AI Studioがもたらす未来を、私たちはどう捉えるべきでしょうか。レポートは、3つの核心的なポイントを示しています。
- Vibe Codingは「超高速プロトタイピング」の革命である。
アイデアを数分で動くアプリに変える力は本物です。これにより、専門家でなくても多くの人が「創る側」になれます。 - この技術は「銀の弾丸」ではない。人間の監督が不可欠。
AIが作るのはあくまで「始まり」です。本番環境で求められる品質、保守性、セキュリティを担保するのは、人間の開発者の重要な責務です。 - 開発者の役割は「コーダー」から「コンダクター(指揮者)」へと進化する。
AIが定型的なコード記述を担うことで、開発者の価値は、コードを書く作業から、より高次のタスクへとシフトします。
これからの時代に求められるスキルは、特定の言語でコードを書く能力そのものではなくなるでしょう。
代わりに重要になるのは、
- 解決すべき課題を深く理解し、システム全体の設計図を描く「システムアーキテクト」としての能力。
- AIエージェントに的確な指示を与え、その能力を最大限に引き出す「AIオーケストレーター」としての能力。
- AIが生み出した成果物(コード)の品質を厳格に検証する「品質保証の砦」としての能力。
といった、AIを「指揮」する能力です。
Googleの責任者は「2025年末までには誰もがビデオゲームをVibe Codeできるようになる」と予告しています。AIによる開発の波は、もう止まりません。
これは、プログラミングという「職人技」の終わりではなく、ソフトウェアエンジニアリングという専門職が、より創造的な「指揮者」へと進化する、大きな地殻変動の始まりなのです。


